こんにちは。スタッフ 里沙です。
 
 
ショパンのピアノ曲が大好きな私は
最近ショパンに関する伝記
を読んだのですが、
そこに画家・ドラクロワとの友情について
興味深い描写がありました。
コロナ禍で注目を集めている地方移住を思わせるエピソードです。
 
ドラクロワ 民衆を導く女神.jpg
↑ドラクロワの代表作、「民衆を率いる自由の女神」ルーブル美術館HPより)
 
 
二人の友人関係は、
ショパンの恋人で作家のジョルジュ・サンドの紹介から始まります。
当時パリの芸術は華やかさを極め、
音楽・絵画・文学などの分野を越えた芸術家同士の交流も盛んだったのです。
 
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↑ドラクロワの描いたサンド(左)とショパン(右)の肖像画オードルップゴー美術館HPルーブル美術館HPより)
後に破局を迎えた二人。これらは元々1枚の絵だったものが2つに切られ売りに出されたそう。
 
 
さて、
「ピアノの詩人」と呼ばれる繊細なショパンと、
挑戦的・情熱的作風のドラクロワ。
二人は
 
「ショパンの音楽には霊感と抑制がある」
「ドラクロワの芸術が革新的なものであることを理解している」
 
と互いに惹かれ合い、生涯にわたって友情を交わします。
 
 
結核を患っていたショパンは病気療養のため
パリから馬車で30時間、ノアン村にあるサンドの別荘に拠点を移しますが、
ドラクロも度々訪れ、滞在しています。
 
 
休暇に友人を訪ねるドラクロ
自然豊かな田園でのんびりと過ごすつもりだったそうですが、
気付けば日々絵筆をとり、
完成させた絵画を村の教会に寄進したというエピソードが残されています。
 
 
一方ショパンも、ノアンで思い切り創作活動に没頭していたようです。
パリ社交界を離れた静かな環境とサンドの献身的なサポートで、
「幻想曲」「英雄ポロネーズ」「幻想ポロネーズ」など数々の名曲を生み出しています。
 
 
ドラクロワの滞在期間、
ショパンとの対話の中で
それぞれの創作活動を刺激し合いながら、
ノアンでの時間を互いに大いに楽しんだことが伺えます。
 
 
…なんだか、コロナ渦で加速した現在と
状況を重ね合わせて読んでしまいました。
 
都会を離れ、
食事と睡眠を見直し、
自然を前に五感を研ぎ澄ませて良い仕事をする。
 
いま見直されている内容と同じことが、
1800年代のショパン界隈でも起きていたのですね。
 
自然の中にいると
むしろ意欲や能力が最大限に引き出され、
都心のビル内よりパフォーマンスが上がるという方も
多いかもしれません。
また、自分の専門と違う分野の仲間との対話で得られる
気付きは、やっぱり宝だなぁと思います。
 
建築でも、分野や用途にとらわれず
ひとが心地よく能力を発揮できる空間を
探っていきたいと思います。
 
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↑ノアン館の平面略図
ショパンの部屋は8番。
奥まった位置で出入口も廊下に面さず、静かに集中できる環境。
 
 
(スタッフ:里沙)